名盤紹介

♪ フォギー・マウンテン・ブレイクダウン

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(Foggy Mountain Breakdown)

1950年、アール・スクラッグスによる不滅のインストゥルメンタル・チューン。
この曲は、映画「俺たちに明日はない」(原題:Bonnie and Clyde 監督:アーサー・ペン、1967年の作品)で使用されたことでも有名です。フラット&スクラッグスは後年、何度となくこの曲を録音していますが、これほどの名曲となると数多くのバンジョー・ピッカーによっても演奏されています。

♪ サニー・サイド・オブ・ザ・マウンテン

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(Sunny Side Of The Mountain)

ホークショー・ホーキンスが歌いヒットさせたカントリー・ソング。最初に録音した時のバンジョー奏者はマイク・ミラー、テナー・ボーカルとマンドリンはヴァーノン・デリックあたりであると云われています。
ジミーはこの曲で1965年にASCAP賞を受賞しています。
Jimmy Martin / Greatest Hits (King)

♪ ブラック・マウンテン・ラグ

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(Black Mountain Rag)

ドク・ワトソンは、1963年のニューポート・フォーク・フェスティバルで、フィドルのホット・リックを応用した早弾きを披露して聴衆の度肝を抜いたという伝説を残しています。渋い歌声も魅力的であります。

♪ ハウ・マウンテン・ガールズ・キャン・ラヴ

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(How Mountain Girls Can Love)

スタンリー・ブラザースの名曲です。独特なコーラスが魅力であり、永遠不朽のハーモニーはカーターの朴訥な歌唱とラルフの艶やかなハイテナーによって醸し出されます。今日でもジャムなどで必ず歌われる定番の一つです。

♪ ローハイド

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(Raw Hide)

ビル・モンローが1951年に旧友で俳優のマックス・ターハン主演の映画にちなんで作ったというインストゥルメンタル曲。
とてもテンポが速く、ビルのマンドリンもさることながら、レッド・テイラーがフィドルの典型とも云えるプレイを聴かせてくれます。

♪ ラヴ・プリーズ・カム・ホーム

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(Love Please Come Home)

ドン・リーノウとレッド・スマイリーは1951年にコンビを組み、その後1964年まで順調に活躍。
ドンのバンジョーがとてもユニークでインストゥルメンタル曲の方が目立ちますが、レッドの温かいボーカルをフィーチャーしたバラードものにも捨てがたい名曲が多くあります。

♪ アールズ・ブレイクダウン

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(Earl’s Breakdown)

ブルーグラス・バンジョーの開祖アール・スクラッグスは革新的なバンジョー奏者でした。演奏中にチューニングを変えるというアイディアを実行し、後に自らの名を冠した最高傑作「アールズ・ブレイクダウン」を作曲、録音しました。
Lester Flatt & Earl Scruggs / Golden Era (Rounder)
毎度ペグを回すのも大変だったので、アールは考え抜いた末、カムをペグに取り付け、音程を変える動作をワンタッチで 行えるように改良、「スクラッグス・チューナー」と名付けられました。シンプルな曲構成と、はじけるようなバンジョーのサウンドが心地良い名曲です。以来、「フリント・ヒル・スペシャル」(1952年11月9日録音)などでもこのカム・タイプのものを使用しています。後に革新的なバンジョー奏者のビル・キースが別の構造を持つ同様のペグを発案、現在はこちらが主流となっており、これをアール・スクラッグスは、「スクラッグス・キース・チューナー」と呼んでいたそうです。

♪ ハード・ハーテッド

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(Hard Hearted)

「hard hearted」を訳すと「冷酷な」とか「無情な」という意味になります。
美しいハーモニーが特徴的なジム&ジェシーのマクレイノルズ兄弟です。

♪ オレンジ・ブロッサム・スペシャル

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(Orange Blossom Special)

41歳という若さでこの世を去ったスコッティ・ストーンマンは、音楽一家に生まれ、幼少時代からファミリー・バンドで才能を発揮したブルーグラス・フィドルの巨人でした。
フィドルの定番「オレンジ・ブロッサム・スペシャル」は、大変ポピュラーな曲ですが、心が熱くなってしまうようなエキサイティングな演奏はブルーグラス・ファンにとっては必聴であると云えます。

♪ ブルー・リッジ・マウンテン・ブルース

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(Blue Ridge Mountain Blues)

カントリー・ジェントルメンはワシントンD.C.で結成され、活動基盤を都市周辺のライヴ・ハウスとしていましたが、レパートリーの多くは南部の自然に題材を求めています。

♪ デイブレイク・イン・デキシー

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(Daybreak In Dixie)

マンドリン奏者のビル・ネイピアがスタンレー・ブラザーズと活動している時代に作った曲です。
アップ・テンポの早弾きを要求されるので、マンドリン奏者にとっては古典的な課題曲であるとも云われています。

♪ アンクル・ペン

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(Uncle Pen)

ビル・モンローのマンドリンはメロディをシンコペイトさせて弾くスタイルとアドリブ演奏、それを支える確実なテクニックが特徴です。これらの演奏法は伝説のフィドラーである叔父ペンから、そしてもう一方に黒人ブルース・ギターの名手でフィドルもよくしたといわれるアーノルド・シュワルツの影響によるものと云われています。

♪ サリー・グッディン

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(Sally Goodin)

カントリーとロックの境界線をまたいで活躍する名フィドラー、バイロン・バーライン。
彼はビル・モンロー率いる名門ブルーグラス・ボーイズの出身で、60年代後半にL.A.に移住、ローリング・ストーンズの「カントリー・ホンク」や、ザ・バンドの「アルケイディアの流木」などで名演を残しました。様々なセッションを経た後、1972年にカントリー・ガゼットを結成します。

♪ 恋人の腕に抱かれて

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(Rollin’ My Sweet Baby’s Arms)

彼らの演奏した曲は、マーダー・バラード、ゴスペル、ラヴ・ソング、アパラチア地方のフォーク・チューンなど様々でしたが、その多くは以後何十年にもわたって数多くのミュージシャンたちにカヴァーされています。
この「恋人の腕に抱かれて」は、モンロウ・ブラザーズをはじめ、多くのミュージシャンによってカヴァーされていますが、スタンダードとして知られるようになったのはフラット&スクラッグが彼らのレパートリーに加えてからでした。

♪ 双頭の鷲の旗の下に

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(Under The Double Eagle)

行進曲としてによく使われていたのが、ヨーゼフ・フランツ・ワーグナー作曲の「双頭の鷲の旗の下に」。
ブルーグラスの世界では、来日した折のカントリー・ジェントルメンの演奏でチャーリー・ウォーラーがギターを頭の後ろに抱え上げてソロを取っていました。頻繁にメンバー・チェンジを繰り返してきましたが、来日時のメンバー、ビル・エマーソンもマンドリンのドイル・ローソンもバンド・アンサンブルを重視した玄人好みのプレイヤーであり、コーラスワークもトラディショナルな味わい深いものであったようです。

♪ ボディ・アンド・ソウル

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(With Body And Soul)

ブルーグラスにロックのビートを取り入れ、ロックやポップス・ファンにもアピールしたのが、サム・ブッシュ率いるニュー・グラス・リバイバル(N.G.R.)でした。ジェリー・リー・ルイスのヒットさせたロックン・ロール曲「火の玉ロック」をボーカルとインストゥルメンテイションでパワフルに聴かせてくれます。

♪ ニュー・キャンプタウン・レイシズ

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(New Camptown Races)

フランク・ウェイクフィールドは、ビル・モンローやジェシー・マクレイノルズにインスパイアされながら、個性的で独創的な演奏方法を身につけていきました。種々の演奏形態について多く学び、豊かにそのテクニックを発展させました。ブルーグラス界でも数少ない奇才と呼べるマンドリン・プレイヤーの一人です。
オリジナルは1964-1983年のフォークウェイズ時代のレッド・アレンのコンピレーション盤で聴くことができます。この曲でのバンジョーはビル・キースです。
Red Allen / The Folkways Years 1964-1983 (Smithsonian Folkways)

♪ ソルティ・ドッグ・ブルース

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(Salty Dog Blues)

1939年にモリス・ブラザーズが作曲、録音。フラット&スクラッグスがブルー・グラス・ボーイズから独立後の1951年にレパートリーに取り入れてから有名になりました。リード・ボーカルはフィドルのベニー・シムス。
「Salty Dog」とは、当時人気のあった飲み物か,あるいはそれにちなんだ酒場の名前のことだと云われていますが、1930年にアレン・ブラザーズが「A New Salty Dog」として録音していて、リー・アレンによると「Salty dog」の定義は「俗っぽく,世の中をいい加減に生きる男」だったことが記録されているようです。
フォギー・マウンテン・ボーイズ絶頂期の1962年12月、カーネギー・ホールで行われた彼らのライヴのオープニングにこの曲が取り上げられています。

♪ デビルズ・ドリーム

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(Devil’s Dream)

1963年、ビル・キースはアール・スクラッグスに会いにオープリーにやって来たところ、そのスクラッグス・スタイルとは異なる斬新なバンジョー・スタイルを評価され、ケニー・ベイカーを通じてブルー・グラス・ボーイズに加入。
当時のビル・モンローは人気者のフラット&スクラッグスに対し、強い闘争心と反骨心を露わにしていました。
早々にキースのために2回のセッションを設け、合計7曲を録音、その中から6曲がアルバムに収録されました。
フォーク・ファンへのメッセージを強く意識した彼の胸の内が表現されています。
Bill Monroe / July 1963, Two Days At Newport (And More Bears)

♪ ミュール・スキナー・ブルース

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(Mule Skinner Blues)

リチャード・グリーンとピーター・ローワンは、都会から出てレッド・アレンを経由し、ビル・モンローの下でブルー・グラス・ボーイズの第2期黄金期を支え、フォーク~ブルース~ロック~カントリーといった音楽遍歴を重ねていきました。
1960年代末のウエスト・コーストでは、バーズのクラレンス・ホワイトがカントリー色を強く打ち出し、ディラーズやフライング・ブリトゥ・ブラザーズが派手に活動します。1960年代末から70年代にかけてのブルーグラスやフォーク&ロック・シーンでは、クラレンスを始めとして、リチャード、ピーター、デヴィッド、ビルらが集まることで何かを始める即発的な動きが感じられていたようです。
ビル・モンローのロサンゼルスでのテレビ出演が不可能になったことで、急遽その穴を埋めるべく上記メンバーによるテレビ番組放映が決定、これを観ていた当時のワーナーのプロデューサーがレコードにしないかと持ちかけ制作されたのが、「ミュールスキナー」というアルバムです。
The Mule Skinner Band / Mukeskinner (DBK Works)

♪ デキシー・ブレイクダウン

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フライング・ブリトゥ・ブラザーズは、アルバム「The Flying Burrito Brothers」発表後に、スニーキー・ピートとバーニー・レドンが相次いで脱退、バンドは危機を迎えました。リーダーのクリス・ヒルマンは、スニーキーの代役としてシャイローにいたアル・パーキンズを引き抜くと同時に、「Burrito Deluxe」にゲスト参加していたバイロン・バーラインに助力を求めます。ガゼットのメンバーであるケニー・ワーツ、ロジャー・ブッシュ、そしてバーラインの3人がブリトゥズのヨーロッパ・ツアーに付き合うこととなり、7人という大所帯のツアー・バンドが誕生することになりました。
The Flying Burrito Brothers / Last Of The Red Hot Burritos

♪ 刑の終わるその日まで

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(Doing My Time)

ベン・エルドリッジの華麗なバンジョー・イントロに続いて、ジョン・スターリングが歌い出し、ジョン・ダフィーの
コーラスが被さり、リフレインのソロまで歌います。セルダム・シーンの名盤「ライヴ・アット・セラー・ドア」の1曲目で演奏されている「刑の終わるその日まで」(Doing My Time)です。各楽器と歌のバランスはセルダム・シーンのサウンドの特性であり魅力とされています。
Seldom Scene / Live At The Cellar Door (Rebel)

♪ ソルジャーズ・ジョイ

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(Soldier’s Joy)

クラシックの世界3大テノール(The Three Tenors)というとパヴァロッティ、ドミンゴ、カレーラスの3人ですが、これをもじったのが、アール・スクラッグス、ドック・ワトソン、リッキー・スキャッグスの3人による「The Three Pickers」です。2003年12月にはこの3人によるコンサートが催されました。
このアルバムは、アール・スクラッグス、ドック・ワトソンというアメリカ音楽の珠玉の芸術を存分に味わえる秀作です。

♪ 聞こえないのかい

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(Can’t You Hear Me Callin’)

ビル・モンローの代表曲と言われる「聞こえないのかい」(Can`t You Hear Me Callin')は、カントリー・ジェントルメンの名盤「フォーク・セッション・インサイド」を始め、多くのミュージシャンが取り上げたことでポピュラーになったと云われています。ジョン・ダフィーやリッキー・スキャッグスのような「モンローズ・チャイルド」によって、この曲は歌い継がれて不朽の名曲となったのです。
The Country Gentlemen / Folk Session Inside (Copper Creek)

♪ ビューグル・コール・ラグ

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(Bugle Call Rag)

J.D.クロウは13才でバンジョーを始め、16才の頃アマチュア・コンテストに入賞。
ジミー・マーチンに認められ、1956年にサニー・マウンテン・ボーイズに加入しています。
ジミーのもとには1963年まで在籍、21曲のレコーディングに参加。
Jimmy Martin & The Sunny Mountain Boys / You Don't Know My Mind (1956-1966) (Bear Family)

♪ アッシズ・オブ・ラヴ

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(Ashes Of Love)

サンフランシスコのロック・バンド「グレイトフル・デッド」を率いてきた故ジェリー・ガルシアはブルーグラス・フリークであったようで、1975年にデヴィッド・グリスマンらとともに「オールド・イン・ザ・ウェイ」をリリースしてブルーグラスに急接近するも、翌76年にフランク・ウェイクフィールドを中心とした「グッド・オールド・ボーズ」をプロデュースしました。マンドリンのフランクに加えて、リード・ボーカルにデビト・ネルソン、さらにバンジョーにドン・リーノウ、フィドルにチャビー・ワイズという豪華な布陣でレコーディングを行っています。
このアルバムのオープニング曲が「アッシズ・オブ・ラヴ」です。
Frank Wakefield & The Good Old Boys / Pistol Packin’ Mam

♪ おじいさんの古時計

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(Grandfather’s Clock)

1961年に正式にカントリー・ジェントルメンに加入したトム・グレイはブルーグラス界にフォー・ビートを持ち込む。
フォー・ビートを刻むベーシストとしては以前にも、セドリック・レインウォーターやジョージ・シャフラーといった人がいましたが、彼のベースはブルーグラスをさらにダイナミックなものにしました。
The Country Gentlemen / On The Road (And More) (Smithsonian Folkways)

♪ シンク・オブ・ホワット・ユーヴ・ダン

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(Think Of What You’ve Done)

ダン・フォーゲルバーグは、フォーク・シンガーとしてロサンゼルスを拠点に活動。セッション・ミュージシャンとしての腕を磨き、1975年にはイーグルスのツアーにも参加したという経歴を持っています。彼が発表したアルバムは高い評価を得ており、存在を広く世に知らしめたのが1979年のアルバム「フェニックス」でした。
そのダンが、デヴィッド・グリスマンのセッション・アルバム「ヒア・トゥデイ」のメンバーを丸ごと起用して作ったのが「ハイ・カントリー・スノウ」(遥かなる心と絆)というアルバムです。このアルバムにカーター・スタンレーの名作「シンク・オブ・ホワット・ユーヴ・ダン」が収録されています。
Dan Forgelberg / High Country Snows (Epic)

♪ わらの中の七面鳥

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(Turkey In The Straw)

バンジョーの最も高度の音楽センスとテクニックを披露していた一人としてダン・リーノウが挙げられます。
5弦バンジョーの奏法は、いわゆる三本指奏法(親指、人差し指、中指を使うスクラッグス・スタイル)のことですが、ダン・リーノウや元カントリー・ジェントルメンのエディ・アドコックに見られる共通した奏法は、既成の奏法にとどまらず、ツー・フィンガー・スタイルをも活用していることにあります。
こうしたブルーグラス・バンジョーの世界では異色のプレイヤーが共演したアルバムが「センセーショナル・ツイン・バンジョーズ」です。
Adcock & Reno / Sensational Twin Banjos (Rebel)

♪ グッド・ウーマンズ・ラヴ

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(Good Woman’s Love)

ニュー・グラス・リバイバル(N.G.R.)は、彼らのデビュー・アルバムでブルーグラス・ファンに大きなショックを与え、しばらくレコーディングから遠ざかりましたが、ベースがブッチ・ロビンスからジョン・コーワンに代わり、たちまちのうちにN.G.R.をカントリー・ロック路線へと向わせました。ブルーグラスではお馴染みの曲ですが、原曲の持つシンプルな良さはロックにアレンジされても損なわれることなく、逆に美しさが一層強調されています。
New Grass Revival / Fly Through The Country (Flying Fish) 

♪ 45号列車

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(Train 45)

現代民謡の父、ウディ・ガスリーによって歌われた「900マイルズ」も、フォーク・ブルースの「オールド・ルーベン」や、「ルーベン・トレイン」や、「ルーベン・ブルース」なども全てこの曲の違った呼び名であるようです。
最初はフィドルの曲として演奏されていました。
The Stanley Brothers / Ridin' That Midnight Train (Westside)

♪ 心の痛み

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(Pain In My Heart)

トニー・ライスは1981年、彼は常日頃想い描いていたプランを実現させるために、豪華なメンバーをカリフォルニアに集結させ、「正調ブルーグラス・アルバム」を作ることを決意します。バンジョーにJ.D.クロウ、マンドリンにドイル・ロウソン、フィドルにボビー・ヒックス、ドブロにジェリー・ダグラス、ベースにトッド・フィリップスという、最高のミュージシャンたちと共に、彼はブルーグラス名曲集を完成させたのでした。これが名盤「ブルーグラス・アルバム」だったのです。
Tony Rice / The Bluegrass Album Vol.1 (Rounder)

♪ ビル・チータム

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(Bill Cheatham)

作曲家のバルトークからその名前をもらったというベラ・フレックは、1959年ニューヨークに誕生。
バンジョーに興味を覚えたのは15歳の頃で、後にジャズの影響も取り入れた自分のプレイ・スタイルを確立していきます。高校卒業後は、ジャック・トトルの「テイスティ・リックス」、ジミー・ゴウドロウの「スペクトラム」というニュータイプのバンドに在籍、1979年には初のソロ・アルバム「クロッシング・ザ・トラックス」を発表しています。
Tony Trischka, Bill Keith, Bela Fleck / Fiddle Tunes For Banjo (Rounder)

♪ ラフ・アンド・ロッキー

bluegrass

(Don’t This Road Look Rough And Rocky)

アルバムの6曲目にフラット&スクラッグスの名曲「ラフ・アンド・ロッキー」が収録されています。重厚なベースのイントロに続いてお馴染みのメロディーがゆっくりとしたテンポで歌われます。不思議な魅力に満ち溢れた1枚です。
The Wayfaring Strangers / This Train (Rounder)

♪ ダスティ・ミラー

bluegrass

(Dusty Miller)

惜しくも65歳で亡くなったジョン・ハートフォードの残した功績は、ビートルズの「イエスタデイ」に次ぐ録音回数を誇る世界的ヒット曲「ジェントル・オン・マイ・マインド」を書いたこと、1980年代以降のオールドタイム・フィドルの研究と保存、その教育に力を注いだことなどが挙げられます。
JOHN HARTFORD / John Hartford/Iron Mountain Depot/Radio John (BMG)

♪ パンハンドル・カントリー

bluegrass

(Panhandle Country)

マイク・オウルドリッジは人気バンド、セルダム・シーンの中でドブロという楽器をもって中心的な役割を担ってきました。革新的なアレンジや選曲で多くのファンを楽しませてくれるセルダム・シーンでしたが、マイク・オウルドリッジは多数のソロ・アルバムをリリースしています。
Mike Auldridge / Dobro & Blues And Bluegrass (Takoma)

♪ ヴィクティム・トゥ・ザ・トゥーム

bluegrass

(Victim To The Tomb)

デヴィッド・グリスマン、ピーター・ローワン、ヴァッサー・クレメンツ、ジェリー・ガルシア、ジョン・カーンからなる「オールド&イン・ザ・ウェイ」は、70年代前半にサンフランシスコで活躍した幻のセッション・バンド。
約30年ぶりに集まって制作したのが「オールド&イン・ザ・グレイ」です。タイトルの意味は、白髪混じりとなった現在の容貌を洒落たものだそうです。
Old & In the Gray / Old & In the Gray (Acoustic Disc)

♪ 七面鳥のこぶ

bluegrass

(Turkey Knob)

1960年代のカントリー・ジェントルメンの栄光を支えたバンジョー奏者のエディ・アドコック。
彼のユニークなバンジョー奏法は、ドン・リーノウの影響とされています。
「ナイト・ウォーク」「サンライズ」「心の痛手」など、インストゥルメンタルの名曲を数多く発表してきました。
そんな中でも、数多くのプレイヤーに取り上げられ演奏されているのが「七面鳥のこぶ」という曲です。
The Country Gentlemen / The Country Songs - Old And New (Smithsonian Folkways)

♪ ターン・ユア・レディオ・オン

bluegrass

(Turn Your Radio On)

1971年、ジョン・ハートフォードは古い音楽を愛し演奏しながらも、最も先鋭的なロックとブルーグラスとの融合を成し遂げました。彼がノーマン・ブレイク、タット・テイラー、バッサー・クレメンツ、ランディ・スクラッグスというプログレッシヴなプレイヤーらと組んで作った「エアロ・プレイン」というアルバムで結実、ハートフォードの存在はいかにも異色の感じがします。その革新性は、今日のブルーグラスと比較しても決して古さを感じさせないものでした。
John Hartford / Aereo Plane (Rounder)

♪ エルサレム・リッジ

bluegrass

(Jerusalem Ridge)

ブルーグラス・フィドラーとして常に5本の指に名前が挙がるケニー・ベイカーは、ケンタッキー州東部ジェンキンスの出身で、ミュージシャンを目指したのは、トミー・ドーシーやグレン・ミラーといったスイング・ジャズからでした。
第2次世界大戦中、戦地に慰問にやって来たウェスタン・スイング・バンドのボブ・ウィルスやステファン・グラッペリに感銘を受けフィドルを弾くようになったようです。
Kenny Baker / Plays Bill Monroe (County)

♪ ミッドナイト・フライヤー

bluegrass

(Midnight Flyer)

夜汽車を歌ったもので、あのイーグルスがたっぷりとブルーグラスしている曲「ミッドナイト・フライヤー」です。
1972年にデビューしたイーグルスは、一般的にはL.A.のカントリー・ロック・バンドとして受け入れられていますが、バーニー・レドンのバンジョーをフィーチャーした軽快なカントリー・ロック仕立てのこの曲は、イーグルスの3枚目のアルバム「オン・ザ・ボーダー」に収録されています。
Eagles / On The Border (Asylum)

♪ フェアウェル・ブルース

bluegrass

(Farewell Blues)

「ドクター・バンジョー」として知られるピート・ワーニックは、そのニックネーム通りコロムビア大学で社会学の博士号を取得しています。彼はバンジョーの魅力を世界中に広げる伝道師のような存在で、執筆したバンジョー教則本の累計販売冊数は25万部を超え、数々の教則ビデオも制作しているそうです。
Pete Wernick / On A Roll (Sugar Hill)

♪ バイブルを道標に

bluegrass

(I’m Using My Bible For A Road Map)

ロニー・リーノウは、父ドンのもとで幼くしてプロ・デビューをしています。以来40年、大ベテランの域に達した彼が弟たちとのレノ・ブラザーズを解散した後、新たに結成したのがリーノウ・トラディションでした。
Ronnie Reno & The Reno Tradition / Portfolio (Shell Point) 

♪ サンライズ

bluegrass

(Sunrise)

この曲は正式には「The World Is Waiting For The Sunrise」(世界は日の出を待っている)とタイトルされています。
1919年、第一次世界大戦(同年6月にベルサイユ条約調印)に疲れた人々にアピールし、その名の通り世界的に大ヒット。
レスはジャズ・ギタリストとしても知られており、この曲で聴かれるような新しい演奏法を考案し人気スターとなりました1948年に結婚しコンビを組み、「モッキン・バード・ヒル」「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」「ヴァィア・コン・ディオス」などのミリオン・セラーを放ちました。

♪ 心の痛手

bluegrass

(Heartaches)

1931年にジョン・クレナーが作詞し、アル・ホフマンが作曲したものですが、同年1月にガイ・ロンバード楽団によってレコーディングされ、4月から6月にかけてヒットしました。
第2次世界大戦がはじまり、楽団員が次々と戦地に赴くと彼はバンド活動を停止しますが、終戦を機に再編します。
偶然にもこの1946年末にノース・カロライナのラジオDJが、13年前に録音された「ハート・エイクス」を気に入って繰り返しオンエアしたところ、全国的に火がつきヒット。オールド・スタイルなバンドは一躍注目の的となりました。

♪ ナイトウォーク

bluegrass

(Nightwalk)

カントリー・ジェントルメンの“ジャズ路線”繋がりのこの曲は、バンジョー・パートのエディ・アドコックが作曲。
ベースのリフに乗って、ペプシ・コーラのビンを釘でたたいてリズムをとるピート・ロバーツ、それに続き軽快なエディの非ブルーグラス的なバンジョー、さらにジャージーなジョン・ダフィーのマンドリン・プレイ。
1960年代のブルーグラスの範疇を越えており、世間はこれを「ブルーグラス・ジャズ」と命名したそうです。

ブルーグラスの楽しみ方


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