bluegrass

 皆さん、こんにちは。このホームページはブルーグラス・ミュージックに興味を持った方々へ入門書代わりのひとつとして制作しました。ことブルーグラスに関しては非常に文献が少なく限られており、興味を持っても深入り出来ない世界であるように感じていました。こちらを通じて新たな感動と発見からブルーグラス・ミュージックをより一層楽しんで頂けるきっかけになれば嬉しく思います。

ブルーグラスの歴史起源

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 その始まりは17~18世紀のヨーロッパからアメリカへの移民の時代に遡ります。
ブルーグラスとはケンタッキー州の別名で、ケンタッキー州出身のビル・モンローのバンド「ブルーグラス・ボーイズ」に由来しています。スコットランド、アイルランドの人々がアパラチア地方に多く移り住み、開拓の合間にフィドルの伴奏でダンスに興じ、故郷のバラッドやヒムを楽しみました。
 そうした開拓時代の音楽的な歴史のなかで、スコッチ・アイリッシュ的なものに奴隷として働いていた黒人音楽を加味して形成されたのが「オールドタイム・ミュージック」の原点となります。バンジョーやギターの演奏は白人が黒人から多くを学ぶこととなったようです。

オールドタイム・マウンテン時代

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 1920-1930年代になると、レコードやラジオの普及で、アパラチア地方からもプロのミュージシャンが誕生します。
ラジオ局で最も有名だったのが、テネシー州ナッシュビルのWSM局の番組「グランド・オール・オープリー」で、当初は演奏主体であったが、1938年のロイ・エイカフ以来は歌うスターへの時代へと進展。
ジミー・ロジャース、カーター・ファミリー、モンロー・ブラザース、ノースキャロライナ・ランブラーズなどが活躍。
 そして彼らの音楽は「マウンテン/ヒルビリー」と云われ、後の「オールドタイム・ミュージック」となります。
1940年代、ヒルビリーはカントリー音楽へと発展し、ビル・モンローがブルーグラスの前進音楽である「プリ・ブルーグラス」を演奏するようになります。

1945年 ブルーグラスの確立

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 ビル・モンローの「ブルーグラス・ボーイズ」の5人により、タイミングやビートを重視した演奏スタイルによって 1945年に確立されることとなります。とりわけアール・スクラッグスの5弦バンジョーのスリー・フィンガー・スタイルが ブルーグラスの音楽的特徴付けに大きく貢献しました。5弦バンジョー、マンドリン、ギター、フィドル、ベースによる 「ストリングス・バンド」というのががブルーグラス・ミュージックの特色でもあります。

1950年代 ブルーグラスの第一黄金期

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 ビル・モンローは1950年からデッカ・レコードに移籍し活躍。ジミー・マーティン、ヴァッサー・クレメンツ、 ソニー・オズボーンなどが在籍。後にレスター・フラット(ギター)、アール・スクラッグス(バンジョー)がビル・モンローの元を離れ 独立することなります。1948年に「フォギー・マウンテン・ボーイズ」を結成、マーキュリー・レコードで大成功を収めます。

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 この時代に活躍したバンドには、スタンリー・ブラザーズ、レノ&スマイリー、オズボーン・ブラザーズ、ジム&ジェシー、 ロンサム・パイン・フィドラーズなどが挙げられ、ラジオDJ達からブルーグラスという名称が使用され始めるようになったようです。 1950年代には、エルヴィス・プレスリーに代表されるロカビリーが大人気となり、ブルーグラスにも影響を与えたため、 大手レコード会社からはブルーグラスのレコードが激減したようです。

 Martin D-28

1960年代 フォーク・ブームの到来

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 1950年代末に東部で起こったフォーク・ブームは南部のミュージシャンを都会に紹介する契機となったようで、 「ニューボート(1958年開始)」にはブルーグラス・バンドも数多く参加。とりわけドグ・ワトソン、 クラレンス・ホワイトのギター、アール・スクラッグスのバンジョー、ビル・モンローのマンドリンの魅力は広く受け入れられ、 熱狂的な支持を得ました。同時期には野外で行われる「ブルーグラス・フェス」が盛んに開催され、都会のプレイヤーからも 本場へのアプローチがあり、デビッド・グリスマンがレッドアレンに、ビル・キースやピーター・ローワン、 リチャード・グリーンらが「ブルーグラス・ボーイズ」に参加するなど、ブルーグラスにも新たな血が通うようになり、 シティ派ブルーグラスが誕生、南部の活性化へと繋がります。

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 飛ぶ鳥を落とす勢いであったフラット&スクラッグズはテレビ番組の「ビバリー・ヒルビリーズ」のテーマ曲を歌い出演を 果たし、映画「ボニー&クライド」に「フォギー・マウンテン・ブレイクダウン」が使用され、ブルーグラスの知名度向上に 大きく貢献しました。
 世の中のフォーク&カントリーはロック色を強め、クラレンス・ホワイト、リチャード・グリーンらの ブルーグラス・プレイヤーも「バーズ」、「シー・トレイン」などのロックバンドでも活躍するようになりました。 フラット&スクラッグズの初来日は1960年代後半であったそうです。ニューグラスの時代に入り、サム・ブッシュ、 トニー・ライスなどが台頭してきます。

 マンドリン

1970年代 ニューグラス時代

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 サム・ブッシュの「ニューグラス・リバイバル」、フライング・ブリトーズから派生した「カントリー・ガセット」、 J.Dクロウの「ニューサウス」、ジョン・ダフィらの「セルダム・シーン」などの新感覚のブルーグラスが誕生し、 空前のセッション・グラス・ブームが起こり、ビル・モンローなど多くのプレイヤーが来日しました。
ブルーグラスといえば「フェス」と言われたようで一つのファッションとなりつつあった時代でもあったようです。

1980年代 原点回帰~発展

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 1970年代後半、ウエストコーストでスウィング・ジャズがリバイバルする以前、ジャズとブルーグラスの融合を模索していたデビッド・グリスマンは、アコースティック弦楽器で独特なドライヴ感とスウィング感を紡ぎ出す"ドーグ・ミュージック(Dawg Music)"という音楽スタイルを生み出します。グリスマンがジャズ界からステファン・グラッペリやエディ・ゴメスらを招き入れたことなどから、ブルーグラス・ファンもジャンゴ・ラインハルトらを知る切っ掛けともなり、ブルーグラス・ミュージックは多種多様でファジーな様相を呈していきます。当時の凄腕プレイヤーを配した強力布陣でインパクトのあるグラス・ロックを展開していたサム・ブッシュ、デビッド・グリスマンは新旧プレイヤーを集めたアルバム「トラディショナル・ブルーグラス」を発表。また、無数のトラッド・バンドが誕生しており、 「ジョンソン・マウンテン・バンド」が人気を博し、ニュートラッド・バンドではトニー・シリシュカの「スカイライン」、 ティム・オブライエンの「ホット・ライズ」などが注目され、1980年代中期、リッキー・スキャッグスのカントリーへの接近、 サム・ブッシュのブルーグラス・ロック、トニー・ライスのヴォーカルへの再挑戦などがありました。 サム・ブッシュはNGR(ニュー・グラス・リバイヴァル)をメジャーに乗せるべく、ベラ・フレック、ジョン・コーワン、 パット・フリンという当時の凄腕プレイヤーを配した強力布陣でインパクトのあるグラス・ロックを展開。トニー・シリシュカは、 ゴードン・ライトフットのナンバーをよく歌い、フォーク路線に進みます。NGRのベラ・フレックは、当時のナッシュビルを表現する 「ナッシュビル・ブルーグラス・バンド」を発足。そして1980年代後半、遂にCD時代の到来となる。ブルーグラス音源も活気づき、 プレイヤーによるアコースティック・カントリーのセッションも盛んに行われるようになりました。
1980年代はブルーグラスの原点回帰を図るとともに、更なる発展へと向かう時期となったのです。

 バンジョー

1990年代~2000年代 女性グラッサー・若手男性グラッサー時代到来

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 ブルーグラスは、ビル・モンロー、レスター・フラット、アール・スクラッグスらにより1945年に誕生以来、 60年以上の歴史を培ってきましたが、女性プレイヤーの華々しい大活躍で再び脚光を浴びることとなります。

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 時流に乗り多様化したサウンドと本格化したプレイ・スタイルで、ローリー・ルイスやキャシー・キャリックを始め、 アリソン・クラウス、リン・モリス、デール・アン・ブラッドリー、アリソン・ブラウン、ケイト・マッケンジーなど、 女性グラッサーたちが活躍、世界は女性時代に突入します。一方、トニー・ファタード、スコット・ナイガード、 マッコリー・ブラザーズ、トム・ロザム、トム・ハンウェイなど、若手男性グラッサーも出現。伝統音楽をしっかりと継承しながら 現在に至ります。

ブルーグラスの楽しみ方


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